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まさかのネタで。

ブログランキングですが、早速2位に後退しましたw。あはは。まあ、毎日集計している数字を元にランキングされているので、週末や月曜日の更新をしていなければあっと言う間に陥落するのは分かってはいましたが…。それでも5日ほどは1位にいる事が出来ました。あの有名な「三日天下」よりも長かったと言う事で満足しましょうw。
ちなみにこの「三日天下」。かの有名な武将のエピソードから来ている言葉なのは皆さんご存知と思います。明智光秀。そう、「本能寺の変」で天下統一を目前に控えた主君・織田信長に反旗を翻した日本史を代表する謀反人です。
akechi.jpg
明智光秀。
日本史、特に安土桃山~戦国時代~江戸幕府スタート辺りにおいて、石田光成と並ぶ「残念キャラ」の光秀。非常に頭のキレる男だったとの説が有力で、その頭脳明晰な所が信長に重宝されていたようです。そんな光秀が、京都に上洛していた信長の寝込みを襲ったのが本能寺。現在の京都市中京区蛸薬師通油小路東入元本能寺南町近辺がそうです。
oda.jpg
織田信長公。
賛否両論ある戦国を代表する武将です。
6/2未明、ここに信長を討った(であろう※後述)光秀は、6/5に信長の居城であった安土城に入ります。6/9には京都へ上洛。「信長の後継者は自分である」との朝廷工作を始めます。

しかし、ここに飛び込んで来たのが「秀吉の大返し」の報。本能寺の変が起きた6/2、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は備中(現在の岡山県)高松城で毛利軍と対峙していました。6/3に早くも「信長討死」の報を聞いた秀吉は、毛利との和平を取り付け、毛利軍が6/6に撤退したのを見届けた後に猛スピードで京都へ向かいます。6/12には摂津(現在の大阪府北部)まで戻り、翌日13日、山崎の地(現在の大阪府三島郡島本町近辺)で明智軍と激突します。これが有名な「山崎の合戦」。この山崎と言う地名は、サントリーのウイスキー「山崎」でも有名ですよね。

さてその山崎の合戦。秀吉は中国地方からの大返しの道中に、信長配下の武将達を吸収する形でその兵力は増え、山崎に布陣する頃には約2万人~4万人(諸説あり)の大兵力になっていたとか。対する明智軍は約1万~1万5千人ほどと言われています。この合戦の端緒となったとある山。と言っても標高270m程度の「丘」なのですが、ここを取った方が合戦の主導権を握れるとして、端緒であり激戦となったのが「天王山(てんのうざん)」。そう、今でも使われている、スポーツなどで非常に重要な試合を呼ぶ時に使われているこの言葉も、この山崎の合戦に由来しているようです(諸説あり)。
tennnouzan.jpg
電車の奥に見えるのが天王山。

13日の夕刻に始まった合戦は日没近くには大勢が決していました。総崩れとなった明智軍は戦線後方の勝竜寺城まで退却。この城が、大人数を収容できない平城だったために、兵士の逃亡・離散が相次ぎ、最終的に明智軍は700人程度まで激減したと言われています。対する秀吉軍も前線の消耗が激しく、日没も迫っていたために追撃を断念。翌日に勝竜寺城に入城し山崎の合戦は秀吉軍の勝利となり終結します。
肝心の光秀は13日の深夜に勝竜寺城を脱出。居城の坂本城(現在の滋賀県大津。琵琶湖畔)を目指して退却する途中、現在の京都府伏見区界隈で、土民の落ち武者狩りに遭遇して殺されたと言われています(坂本城まで逃げたが、後に切腹したなど諸説あり)。
その後の事は皆さんも良くご存じの通り。山崎の合戦で指揮を執った秀吉は、清州会議を経て信長の後継者としての地位を固め、遂に天下統一を果たします。

前置きがアホみたいに長くなりました。
光秀が信長を本能寺に討った6/2から、山崎の合戦のあった6/13までが実質の「光秀の天下」だったようです。実際には11日間程度はあったようですがw、権力を握っている状態が非常に短い期間である事の例えとして「三日天下」と言う言葉が生まれたんですね。ブログランキング1位が「権力」って事ではないですが、1位の座にいられた期間が非常に短かったってことで「三日天下」って言葉を使わせて頂きました。

おわ!
前置きのハズが非常に長くなってしまったw。
ここから自転車関連の記事を書いていたらとんでもなく長いエントリになってしまいます。今日はこの話題をメインにしちゃおうかな…。自転車ブログでありながら、まさかの歴史ネタw。まあ、たまにはこんなエントリもアリって事でご容赦頂きたいと思います汗。

長く続いた戦乱の世を統一する「信長」と言う希代のヒーローの登場。抵抗する勢力もいずれ信長の軍門に下ると思われていた当時の事を考えると、この本能寺の変が正に一大事件であったことは容易に想像が出来ます。それを裏付けるのが本能寺の変の後の大混乱。秀吉の大返し、家康の京都脱出、群雄割拠が一斉に蠢き始めるその空気。文字を見ているだけで、当時のドロドロとした「空気」を肌で感じてしまうような気がしてなりません。歴史に興味がある方も、それほどでもない方も。是非この頃の騒乱を時系列に沿って追って見て下さい。「本能寺の変は本当にあったのか?」「黒幕は実はあの人なのでは…?」なんて疑問も湧いてくるような、そんな「歴史のロマン」を感じる事ができるでしょう。

さあ、明日からまた自転車のネタにもどります。きっとw。

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わああああああ!wwww

まさかの歴史ネタ始まりの歴史ネタ終わりwww

たまにはこんなのもアリですね。

そうそう、最近気になっているフレームあるんです!

それはLOOK464!

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現在は仕事と育児の合間を縫ってLEADER BIKE 725TRと722TSに乗っています。
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